講演「奈良少年刑務所」
2006/03/08
8日午後1:30~3:30、奈良少年刑務所受刑者への講演に行ってきました。
以前の打合せ時は、玄関から近い応接の部屋でしたが、今回は教室で、そこに行くまでに幾つか扉を通りぬけるのですが、その都度施錠が厳重に行なわれ、そうなんだ、ここは日常から区切られた場所なのだと思わず自覚しました。
講演の90分を次のような形で進めました。
1分…黙祷
20分…事故からこれまでの思い・体験・今の活動
60分…ロールプレイング『愛する家族の交通死』
9分…告別式ビデオ
一方向での話を避け、受刑者の人達とやりとりできる方法を選択しました。
ある日突然交通事故が自分の家族を襲い、愛する一人が奪われたという設定で
七人全員に「父親・母親・兄弟・親友・恋人・被害者・加害者」の役を割り振り、
早い者順で自分がしたい役を手を上げて言ってもらいました。
意外と一番に手が上がったのが父親役、次が母親役でした。
目を閉じて、ある朝突然の家族の交通事故を想像してもらいました。
電話が入り、病院に駆けつける。朝生きていた身内が今目の前で冷たくなっている・・・、
それぞれ割振られた立場でその気持ちを思い浮かべ、
感じること、思うことをA4用紙に書き込んでもらいました。
その後紙を交換し声をあげ読んでいってもらいました。
その内容がびっくりするほど、ケントの事故直後の自分の思い、父親の思い、
友人の思いと同じだったのでした。加害者である彼らが、被害者の立場になって、
想像力を絞り出し考えました。
教室に行く前の打合せで教官が、『気を楽にして、硬くならないで。』
と繰り返しました。多分、顔が引きつっていたのです。刑務所にいるだけで緊張します。
受刑者と接 するのは顔がこわばります。でも教官の言葉で救われ、
『ケントの生きられなかった生命、彼らに伝え、ケントの分も生きて欲しい』
と祈り、与えられた時を彼らと分かち合いました。
法律で言えば、被害者達の声を聴き、その声を反映してこそ始めて
生きた法律が生まれるように、犯罪被害者支援に被害者自身の声は欠かせません。
医療過誤を無くすには、医療過誤の被害当事者達の声を聴き、反映させなければ無くなりません。
いじめは、いじめられる者たちのしぼり出す声に耳を傾けてゆかない限り現状は変わりません。
今回、刑務所に行き、受刑者達の更生にもやはり被害者達の声を彼らにきちんと伝え、
彼ら自身がしっかりと起こした出来事と向かい合うチャンスを作り出す大切さ、
重要性を感じました。
私たちも社会の一員で、受刑者たちも社会の一員、犯罪はその社会の中で起こり、
裁くのも社会の一員の裁判官たち、刑務官や教官たちも社会の一員です。
その社会を修正してゆくには、みんなで関わってゆかないと気づけないことがある筈です。
日本の社会が長い年月を経て、ようやくそういうことに目覚める成長段階に
今たどり着くことができてきたのだと思うのです。次回は六月です。
児島 早苗