交通事故からの経緯

はじめに

「緊急に手術を要する場合が生じたときは、手術をしてよろしいでしょうか」。
震えをこらえ、かけた電話の向こうの医師の言葉。電話の直前まではいつもと同じ日だった。

見たことのない息子の姿。恐怖心に潰されまいと、意識はないと言われたが、息子と二人、全身全霊で「生きよう!」と闘う。 2週間後、医師が諦めても生きると信じ「今日一日を生きよう」と励まし合う。どん底でも、「今日を生かせて下さい」と祈り続けた。

苦しみの中で生命ほど尊いものはこの世にないことを知る。生命を越えるものはないのだと知る。息をひきとったと宣告されても信じ難く、抱きしめて泣き叫ぶ。「生きて、生きて!」と。

あの日から、息子の命を生かすこと、同じ苦しみを絶つこと、そのことのために仲間達と今日も闘い続ける。法廷では堂々を嘘を述べる加害者があり、それを追求しない、見抜けない、安易なシステムが何十年と続いており、ずさん極まりない中で息子が犠牲となり、今日も依然と犠牲の人柱が生み出される。

憤怒と共に立ち上がった事故直後よりの活動は今、 交通事故対策マニュアル【KENTO】へ、またNPO法人KENTOとして息づく。

「K 交通事故を E 永遠に N なくす T ともだちの O わ」




「しょうらいのゆめ」

ほくは、大きくなったら、うちゅうで、はたらく人になりたいです。
地きゅうの、どこかがすごくきたなく、
目立っていたら、うちゅうから、
でんわして、そこを、きれいにして、
地きゅうをきれにしていきたいです。
うちゅうに作りたいものは、いえとかマンションです。
まずは家をたてて、いちど、すみたいです。
マンションもたてたいです。
そして、いつでも、地きゅうから、
うちゅうへ行けるようにしてみたいです。
そしてれきしにのこる、ゆう明人になりたいです。
(小学校5年のときに書いた作文より)

児島 早苗

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