児島健仁君(当時18歳)は、2000年5月、バイクで登校途中、
生駒市の自宅を出てすぐの100m先の登り坂で、配達中のヤマト運輸のトラックと衝突した。
狭くて見通しの悪いカーブで、急な勾配だった。
すぐに病院に運ばれたが、意識が戻ることはなく、2週間後に亡くなった。
事故現場(写真は事故検証の時のもの)
健仁君が亡くなって10日後、相手方の運送会社であるヤマト運輸から「事故の報告書」と「関係各所の見解」と書かれた書面が手渡されてきた(※本ページにPDFを掲載)。その中には、
『バイクが道路中央をスピードを出して接近してきた。
停止したが、バイクはノーブレーキで当方車両に衝突した。
警察には、ヘルメットを被っていたか判りませんでした、と答えた。』
と書かれていた。
いずれも、健仁君の母親である児島さんが事故直後に運転手から聞いた内容とは異なり、健仁君側に責任があるという書き方だった。
もう一枚の紙には、「過失は健仁君にある」という保険会社や弁護士事務所などの意見が羅列されていた。
事故の真相を聞こうと警察に通ったが、捜査中だということを理由に、教えられないという答えだった。
このとき児島さんは「自分で調べなければ本当の事が分からない」と思い知らされ、仲間とともに独自の事故検証に踏み出した。