交通事故からの経緯

2.相手側弁護士とのやりとり

長きにわたった裁判の記録です。

第1回 2002年4月4日

被告側罪状認否を留保

傍聴席47に対して66人もの人が集まりました。この日は被告人の罪状認否をおこなう予定でしたが、「過失の具体的な態様が明確でない」とし、起訴事実の認否を留保しました。代わりに起訴状で触れられた注意義務や過失について、「事故現場では、どの程度左側によることが可能なのか」「安全確認不十分なままとは具体的にどのような方法か」などの説明を検察側に求めました。これに対し、検察側は一点について説明しましたが残りは 「被告人の罪状認否が終わったあとで」と、拒否しました。

第2回 2002年4月11日

運転手、無罪を主張

<遺族のメモ>
▼4月11日16時~50分ころ 奈良地裁1号法廷
▼傍聴希望者43人・記者席あり
▼公判の経緯
▽被告人の認否(認否書3枚読み上げ)
・自動車運転業務に従事していること間違いない。
・進行状況、急勾配、安全配慮義務認める。
・ただ、出来る限りスピードは落として進行した。
・「不用意に右側に寄った」→納得できない。
・左に戻ろうと考えたし、15キロより遅かったと思う。
・原付を発見したこと、認。
・その時の距離は、今考えると11.3mより離れていたと思う。
・発見した時ブレーキを踏んだので、空走距離は?(聞き取れず)
・衝突はこちらが止まっていたか、止まると同時くらい。
・すぐに急制動の措置をとりました。
・お気の毒と思っているが、「過失」といわれることは承服できない。

▽弁護人の認否(公訴事実に対する意見書4枚)
・道路は極めて狭くセンターラインなし。「できるだけ左」と言っても定量化できないはず。
・「安全確認しつつ」という具体的な内容が不明のため、起訴自体が失当。
・「右に寄った件」駐車場より手前に通行者が居た。それを避けるために右へ。引き続き駐車車両を避けるため右へ。非難する理由がない。
・スリップ痕は0.7mm。勾配を考えると時速は15キロを下回っていた。
・ブレーキに足を乗せつつ進行したため「発見+停止」まで3mを超えない。時速を15キロとすると1秒で4.16m。0.5秒くらいとすると2.08m。
・被告の車が動いていたとするとバイクを押し返した跡があるはず。
・バイクの変形の程度から、バイクは相当スピードが出ていた。11.3mという数字は全面的に見直しを。
・以上から被告の過失責任は問えず→被告人は無罪。

▽検察官求釈明
▽裁判官「徐行は10キロ以下だが、弁護人はそうは言ってないね」
▽弁護人「逆に15キロの根拠知りたい」
▽検察官冒陳 (起訴状+被告人の身上・経歴くらいの簡素なもの)
▽検察官証拠請求(甲1~23/乙1~5)
▽弁護人「甲2・3・5・6不同意。甲21~23留保」
・不同意は実況見分調書。立ち会った被告人の説明通りに作られていない+被告人の記憶自体が曖昧なため。
・留保は遺族調書。
▽同意証拠の取り調べ→割愛
▽次回は、「不同意」調書を作った警察官証人。
▽次回5月16日13時半~/次次回5月30日13時半~。

第14回 2003年3月20日

「記憶にない」「覚えてない」「分からない」がひたすらくり返された

交通事故の刑事裁判は、被告が争わない場合、通常3~4回で終了します。ヤマト運輸・Y被告の裁判は、昨年4月に始まり、いま一年が過ぎました。罪状否認、警察官証人質問、科捜研鑑定士及び被告側鑑定人の出廷、被告弁護人による被告質問etc.を経、今回奈良地検の被告質問が初めて行われ、4・5月ともう2回、検事による質問がつづきます。
検事質問に対し、「記憶がありません、覚えていません、分かりません」を繰り返す被告。被告は個人でも、彼の弁護人はヤマト運輸が雇っています。大企業は、時間・資金・動員力・組織力を豊かに持ち、それを行使します。息子亡き後、間もなく「私どもヤマト運輸には、非常に有能な顧問弁護士がいます。児島さんもそろそろ弁護士をお付けになったほうがいいのでは。」 と電話が繰り返し、事故プロジェクトチームの責任者からかかりました。力を見せつける大企業のあからさまな姿に、被害者の遺族の持てるものは、 忍耐と、真相を求める切な思いです。ひたすら忍耐です。被告は何を思い、感じ、生きているのか。来週21日の公判で、しっかり彼の言葉に耳を傾け、忍耐し聴きます。

第15回 2003年4月21日

傍聴ありがとうございます。そして皆さん傍聴をお願いします。

ヤマト運輸・Y被告は傍聴席最前列から1~2mのところの席に座ります。一年間、うしろ姿を見てきました。目がこちらに向けられたことは一度もない。ケントの遺影に被告の目が注がれたことはない。ケントは遺影になってさえ、2列目から前に座れない。ケントの生命がかかった裁判であるのに。
「今の被告の証言嘘!」と言いたくても、刑事裁判は被害者自身や遺族は参加できない。 被告弁護人は「舌打ち」「法廷中に響く独りごと・つぶやき」を言う。法律は加害者を擁護するため働く。それを熟知する被告は、完全黙秘や否認を行使する。法廷で被告から真実が語られ、心底からの涙が流されることは現代では稀有になる。裁判所の中で起きているこれらのありのままの姿を、一人でも多くの人の目で見、 知ってもらえたらと思う。私逹は実際、何も知らずにこの世に生きている。何か起きたとき、プロ処理集団の中で、ボサーッと眺めているだけ。 だから、プロ逹がやりやすいのだと知った。これから努力します。自分たちの周りで起きていることを知ってもらうために。一人一人が見て、知って、考え、それは変だ、おかしい、と傍聴席側から声なき声が上がり始めるとき、プロ処理集団は謙虚にならざるを得ないと思うから。

第27回 2004年10月8日

検事証人尋問

-全体の感想として- ヤマト運輸弁護人は、検事が聴取した被告の供述調書がいかに不正確・不備・独善性、に満ちているかを裁判官達に印象付けるため、執拗に1時間半に渡り尋問をしました。『検事殿は、タコグラフを読むことができるんですか!!』と追いこんでいました。検事は、担当時より時間が経過し、記憶もあいまいになっていました。 弁護人が、今回はじめて事故当日の通行人母・子の名前を尋問の中で出しました。『通行人は、衝突の音がした時、トラックは停止していた、と言っているのですよ。なぜ、検事は供述を採る際にそのことを被告に教えてあげなかったのですか?』と検事を誘導しました。
★この通行人については、氏名を初めて知りました。彼女から電話がかかってきたのは目撃者探しの看板を立ててから約一ヶ月後で、会社で仕事中に急にかかってきました。
「名前を教えて頂けますか?電話をかけなおしますので番号を教えて下さい。住所はどちらですか?事故の日のことぜひお聴きしたいのです。」と再三繰返し尋ねましたが、『今公衆電話からかけています。外からなので電話はいいです。今から警察へ行って話します。』と大変不自然さを電話中も切ったあとにも感じました。声質や話し方がまるで企業の受付に居る女性のように丁寧な印象でした。
初公判の日、弁護人が記者会見を自ら行ない、『実は、目撃者がいることが判りました!』とアピールしたのも解せません。目撃者のいない交通事故では、運送会社・保険会社・加害者が 目撃者を作り出すことがあると言われています。交通事故処理が、目撃者のみに頼ったり、非科学的であったり、死人に口無しと例えられるが如く、加害者の供述のみで行なわれてゆく、ずさん極まりないがために、卑劣な手段が何十年も堂々と 行なわれ続けるのではないでしょうか。

第34回 2005年10月28日

時代が、司法が、動いた瞬間
この回の公判では、ケントの葬儀のビデオが法定内で上映され、証拠として採用されました。

日本の一地域、奈良地裁・第一号法廷の第34回刑事裁判で、時代、司法社会が、動いた瞬間を実感しました。
ケントの告別式の映像を収めたビデオテープが、奈良地裁刑事法廷内に据えられたテレビのビデオデッキの中に入り、被告弁護人が『何分かかるんですか!』と、死者を悼む感情などまったく欠落した、いつもにも増して攻撃性を含んだぶっきらぼうな質問に、裁判長・検事は応えず、 静かに映像が流れ始めました。
教会のピアノの演奏の音が流れ出し十字架が映し出された瞬間、被害者本人であるケントが、この日本の刑事裁判の法廷内に、自ら足を踏み入れた事実を、安堵と共に実感しました。映写の直前まで、被告側や裁判所により中止にされないかという大変な危惧感を持っていたからです。息子自身が「無念の死」を、「生命の重さ」を、無言で、誰にも伝えられない言葉で語りました。刑事裁判という、公開の場での真相追究のチャンスさえ与えられない遺族・家族方が、未だにどれほどたくさんいらっしゃるでしょう。この裁判は、それら多くの無念の命たちの叫びであり、声なき声で あると信じています。
起訴前・起訴後を含め地検へ足を運んだ回数をもう数えることはできません。初期の頃は、勤務を一時抜け訪庁し、二年前からは夜の訪庁が受け入れられるようになり、会社に気を使う回数が減りました。対話を重ね、信頼関係を積みつづけることで、担当検事が勇気を出し、新しい一歩を踏み出して下さいました。
昨日の公判までケントは、写真の姿でずっと傍聴席二列目で皆さんに抱かれ忍耐しました。遺族の私は、「それは違います!まったくの嘘です!」の叫びを繰り返し飲み込みました。そして奈良地裁もようやく理解し、新しい勇気ある一歩を踏み出して下さいました。一時半から始まった記者会見は、驚く数の記者・カメラマン方が、私達を待っていました。
1.これまでのこと、今日のこと
2.今問題になっている単車の速度についての有り得ない鑑定結果の数字に対する、絵図・計算式を用いた説明
3.「第八次交通安全基本計画(中間案)公聴会」でのプレゼン内容の説明
4.自分達の活動が願い、目指しているビジョン
5.「ITSの勉強会」のこと
6.地域社会での交通事故被害者遺族・家族達への理解と協力が生まれるように、報道の協力がぜひとも必要であること
7.交通事故被害者遺族・家族達は、交通事故ゼロ社会を実現するために、国や国民の力になれるんだということ
などを、懸命に伝えました。

2006年6月7日

控訴が決定しました!

奈良地方検察庁より、Y運転手の控訴を決定したとの連絡がありました。
控訴審で真相を明らかにすべく、これからも闘っていきます。署名にご協力くださった皆様、ありがとうございました。署名を通して伝えられる皆様よりの篤い想いを無駄にしないよう、これからも頑張りますので、ご支援をよろしくお願いします。

2007年7月6日

控訴審 有罪判決

13時30分より大阪高裁にて刑事裁判控訴審の判決公判があり、被告のヤマト運輸運転手に禁錮1年(執行猶予2年)の判決が言い渡されました。
傍聴等のご支援を頂いた皆様に深く感謝いたします。

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